甲子園史上最強のチームを作ることになる、清原と桑田が1983年PL学園に入学。
1枚目のピースは、桑田との出会いだった。
一年生から、それぞれエースと4番でチームを牽引していった。清原は中学校まで投手だったが、桑田を見るやいなや「こいつにはピッチャーで勝てないな」と思い、桑田も清原が「僕の中では世界一のバッター」と言っている。
甲子園で優勝2回、準優勝2回、甲子園通算13本塁打(甲子園記録)をひっさげいざプロ野球へ。
2枚目のピースは、運命のドラフト。
6球団で抽選をおこなう中に、王監督(巨人)の姿はなかった。巨人に指名されたのは、僚友・桑田。早稲田大入りが確実視されていた桑田を巨人は、単独指名したのだ。清原と桑田、王監督に巨人…色々な思いを重ね2人はプロの道へ入っていく。
清原は一年目から暴れた。プロ一年目で常勝・西武の4番に座り31本塁打(新人タイ記録)を打ち、文句なく新人王に輝いた。そして2年目…。
3枚目のピースは、涙の優勝。
1987年、巨人との日本シリーズ。西武が優勝に王手をかけていた第6戦の9回表、試合は一時中断した。二塁手の辻、そしてカメラが一塁ヘ寄っていった。
清原が泣いていた。その涙は、雪辱の涙だったのか歓喜の涙だったのか。
4枚目のピースは、死球との戦い。
強打者ゆえ内角の厳しいコースを投手はついてくる。
特に清原は外角をライトスタンドへもっていく技術が高かったので一層内角攻めは避けられなかった。通算死球196個(ダントツのプロ野球記録)。1989年、ロッテの平沼投手の死球に怒りバットを投げつけ飛びげりし退場。
意外かもしれないが清原の退場は、この1回きりなのだ。
運命のドラフトから2年。初対決はオールスターの舞台だった。
5枚目のピースは清原対桑田。
清原は大舞台にはめっぽう強かった。そして入団2年目に2人は初めてマウンドとバッターボックスで向き合った。結果は見事なホームランで清原が勝った。圧巻だったのが1994年の日本シリーズ。桑田から3発スタンドへはこんだ。しかし、ほぼ直球勝負にでた桑田も男らしく思えた。
勝負とは裏腹に、打つ・投げるの単純な勝負を2人は楽しんでいたかのようにも見えた。……つづく。
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